Artisan Interview 1 — 根本幸昇さん(根本硝子工芸)・前編

根本幸昇 KOSHO NEMOTO

1989年(平成元年)、東京都生まれ。江東区亀戸にある「根本硝子工芸」の3代目として、25歳から江戸切子の道へ。祖父は、江戸切子の名工として黄綬褒章を受賞した根本幸雄氏。現在では、伝統工芸士会作品展等、数々のコンクールでの受賞経歴を持ち、江東区優秀技能者にも認定されている2代目の達也氏とともに、工房を切り盛りしている。伝統工芸界に革命を起こそうと、日々邁進している。

3代目 幸昇氏 略歴
2018年「江戸切子新作展」にて江東区優良賞を受賞。
2019年 第2回北近江サケグラス公募展 黒壁慶雲館 最優秀賞金賞受賞。

根本硝子工芸 3代目・幸昇氏

写真提供:根本硝子工芸

 

江戸切子に携わるつくり手が、なにを想い、一つひとつの作品や仕事と向き合っているのか。日々、作品が生み出される工房へ伺い、インタビュー。第一回目は、若きつくり手を代表する一人である根本幸昇さんを訪ねました。

 

 

祖父の死が開いた、江戸切子への道

——まず、ご家業が江戸切子ですが、3代目としてその世界に飛び込んだきっかけから聞かせてください。

3代目・根本幸昇氏

私はいま、作家キャリアが5年半で、今年で31歳なんですけれども、25歳のときに祖父が亡くなったんです。当時は、音楽をやりながら、流浪してて。25歳って、私としては男としての節目というか。ちょうど、なにをしていこうかなと考えていた時期で。

祖父が亡くなってから、祖父の作品を求めてくださるお客さまがいたり、周りから「(祖父は)偉大だった」と言っていただく機会がたくさんあったり。それで、どんな仕事なんだろうと、初めて家業を見つめ直したんです。

根本硝子工芸 初代・幸雄氏作品

祖父である、根本硝子工芸 初代 根本幸雄氏の作品  写真提供:根本硝子工芸

 

それまでは、実家が工房なので、学校から帰って工房玄関をがらがら、「ただいま」と言うときに、仕事をしている祖父と父の背中を見たり、家で食事をしている祖父のところにふらっと行って、日常の自分の近況を報告することもあったけど、全く仕事の話はしなかったですね。江戸切子の職人を継ぐ気もなかった。

小・中学生のころは、美術の成績はよかったので、もしかしたら祖父と父の血をついでいる部分はあったのかもしれない。あと、小学6年生のときに、将来の夢に「江戸切子の職人になりたい」と書いたのも、覚えています。でも多分、それは本心ではなくて。周りから、珍しがられたり「きれいだね」ってちやほやされたり、変わってる仕事ということで注目されるのがうれしかったんじゃないかな。それに、こう書けば大人からの印象もいいじゃないですか(笑)。

のちのち聞きましたけど、私の父は、家業を私にやらせるつもりは全くなかったんですよ。シビアな、大変な仕事なので。「本当に覚悟ができてやりたいのなら、自分で決めてやりな」と言われていました。ただ、祖父は、3代にわたって孫の私にもやってほしいという気持ちがあったと、祖父が亡くなってから、父から聞きました。

根本幸昇氏

祖父が亡くなってから1年、うちの仕事はどんな仕事なのか考えて、結局、答えは見つかりませんでした。やらなきゃ答えが出ないならと始めたのが、江戸切子を仕事にしたきっかけです。

最初はもちろん、ほとんどお金にならなかったので、1年半くらいですかね。朝から夕方まで、洗い物と、割り出し、割り付けというグラスにめどとなる線を描く加工を、ずっと繰り返し。それで、夕方から夜の12時くらいまで、カットの練習です。工房にある廃材等を使って。それが終わったら、夜中から明け方まで、居酒屋でアルバイトをしてました。そんな生活をしていたら、仕事中に倒れて。こんなこと、ほんとうにあるんだと思いましたね(笑)。単純に、男としてのプライドで続けましたけど。

美しいガラス"藝術"を表現するすべ

——江戸切子は、幸昇さんにとってどのような存在ですか。

私にとって、江戸切子は、自分を表現するための技法の一つです。私はいま、"藝術"品をつくっていると自負しているんです。根本硝子工芸の、3代目の、ガラス"藝術"。その技法が、江戸切子というだけですね。

根本幸昇氏の作品

幸昇氏の作品  写真提供:根本硝子工芸

 

江戸切子と聞いて、なにを思い浮かべますか? 詳しいかたは別として、結婚式の引き出物のようなギフトにちょうどいい、量産型のガラス製品。青と赤、みたいなイメージをもつかたも、多いんじゃないでしょうか。私は、これから到来する時代、そういう世の中にあるイメージの「江戸切子」を仕事にしていくのは、難しいかもしれないと思っていて。

それに、そもそも自分が江戸切子の職人であるという感覚も、あまりないんですよ。もともと音楽をやっていたこともあって、自分を表現するすべを探していたというか。祖父が亡くなったことをきっかけに江戸切子を始めて、これなんだと思えたのも結果論ですね。

江戸切子職人 幸昇氏の手

写真提供:根本硝子工芸

 

もちろん、敬意はあります。だって、表現するうえで江戸切子は、抜群の技法ですから。それに、本物をつくろうと気概をもって仕事している、私の祖父や父のような素晴らしい職人もたくさんいる。だから、その歴史と文化、素材、技術、そして職人の存在を、私たちの世代が伝えていかなきゃいけないと考えています。そのうえで、自分たちの手で、発展させていかなくちゃいけない。結局は、今も過去になるので。

 


* * *

キャリアはまだ5年と短いですが、ほかの職人に負けない、江戸切子への熱意と確かな技術をもっている根本幸昇さん。寝る間を惜しみ、仕事と向き合い、さらには江戸切子そのものも、よりよくしよう。広く伝えていこうと試行錯誤する——。そこには、背中を追い続ける、祖父や父など先代への敬意がありました。「後編」では、仕事への想い。そして、江戸切子の未来を切り開くべく、チャレンジしていることなどを伺います。

根本硝子工芸 幸昇氏

写真提供:根本硝子工芸

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根本幸昇作 modern 蝋(モダン ろう)



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根本幸昇作 modern 雫(モダン しずく)

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