Artisan Interview 2 — 鍋谷淳一さん(鍋谷グラス工芸社)・前編

鍋谷淳一 JUNICHI NABETANI

1966年、東京都生まれ。1949年に大田区で創業した「鍋谷グラス工芸社」の3代目として、4代目・鍋谷海斗氏とともに江戸切子と向き合う。2009年、伝統工芸士に認定。2013年には「江戸切子新作展」にて「経済産業省商務情報政策局長賞」を受賞する。

 

江戸切子に携わる人々が、なにを想い、一つひとつの作品や仕事と向き合っているのか。工房を尋ね、お話を伺う連載『Artisan Interview』。第2回目となる今回は、確かな技術とガラスへの高い知識をもつ江戸切子の伝統工芸士・鍋谷淳一さんです。

いろはを学び、腕をつけ、実感

——ご家業が江戸切子の工房ですが、鍋谷さんが職人になるまでのお話から聞かせてください。

江戸切子 伝統工芸士 鍋谷淳一氏

子どもの頃、友だちが江戸切子を知らなかったんですよ。それに、僕が子どもの頃は今ほど道具も進化していなかったから、作業は全て重労働です。毎日クタクタになるまで仕事する父を見ながら「これは大変だ」とも感じていたし、江戸切子は今後、産業として成り立っていないんじゃないかと思っていたんです。

23歳で社会人になったんですが、当時の僕は、やりがいは仕事がくれるもんだとばかり思っていました。同時に、やりがいがない仕事はしたくないとも思っていて。その後、やりがいは仕事がくれるものじゃない。自分で感じるものだと分かるんですけれど。江戸切子はやりがいがないって、勝手に判断していたんです。

だから、学校を卒業したあとはコンピューター関係の仕事につきました。時代として盛り上がっていく予感がしたし、憧れもあって。でも、入ったものの、希望の部署に入れなくって。ちょうど1年で辞めたんですが、同時に、自分のやりたいこともなくなってしまいました。

ただ、何もしないでブラブラしてるわけにもいきません。その時に父から「お前、江戸切子はやるのか? やらないのなら、自分の代で潰すのは簡単だから」と言われたんです。どうせ潰すんなら一回関わってみようと、25歳で江戸切子の世界に入りました。

最初から家業をついだわけじゃなくて、クリスタルガラスの製造で国内最大手の「カガミクリスタル」にお世話になりました。ここは、江戸切子の生地となるガラス製造を一貫して手がけています。素材の買い付け、熱で溶かす、溶けたドロドロのガラスを成形して、色付け、磨き。1から10まで手がけているから、職人としてものすごく勉強になりましたね。

カガミクリスタルには3年勤めるという約束で、1年目はガラスのいろはを学びました。2年目からは、関連会社で江戸切子を勉強しつつ、製造にも関わるようになって。触れれば触れるほど、少しずつ江戸切子への魅力を感じつつあったけど、この仕事で一生食っていこうという踏ん切りは、なかなかつかなかったですね。僕、心が決まるまでに時間がかかるんです(笑)。

江戸切子職人 鍋谷淳一氏 インタビュー時

江戸切子を創造的で魅力的なものだと思うようになったのは、33歳。ガラスに触れ始めて8年くらいです。(実家に)帰ってきて2〜3年経った頃、初めて自分がつくりたい形ができたんですよ。

そのあとしばらく、仕事をしながらも自分の作品をつくり続ける時期が続きました。仕事と作品を並行して進めるのは大変ですが、それぐらい江戸切子に惚れ込んだのでしょうね。2009年には伝統工芸士として認めていただき、作品が「江戸切子新作展」で「江東区優良賞」に入賞もしたんです。その後、お客さまが買ってくださるようになり、自分の作ったものが誰かに喜んでもらえることがとてもうれしかったし、江戸切子の未来に可能性を感じました。

工房のクオリティを保つために

——江戸切子と向き合ううえで、もっともこだわっていることは何ですか。

道具のメンテナンスです。毎日使うものを、いかに翌日も同じ状態で使えるか。それまでは「日々精進」みたいなことを思っていたんですけれど、2009年に伝統工芸士という称号をいただいてから変わりましたね。

そもそも、作品の出来は、道具ではそんなに変わらないと思っていたんです。誰がどんな道具を使おうと、多少道具がだめであろうと、職人の技術さえあればいいって。でも、それは自分だけの話で。日々の工房での製造は、自分だけでやっているわけじゃなく、働くみんなで調和を取りながらやっています。道具も、みんなで使っている。それなら、誰でも同じように使えるようにメンテナンスしないと、この仕事はみんなで一緒に上達していかないんじゃないかって考えるようになりました。

江戸切子工房 鍋谷グラス工芸社 作業風景

そう思うようになったきっかけには、道具の進化もあります。たとえば、カットするためのグラインダーという機械。昔は振動があって、あまりクオリティ高くカットできなかったのが、今は、ピタッ。スーッ。カット面がすごくきれいなんです。あと、ガラスを削るのに一番大事な、ダイヤモンドホイールという道具。削る場所によって、いろいろな大きさだったり、角度だったり、形だったりするダイヤを使うんですけど、そのダイヤも一枚一枚ちゃんと手入れして、管理する。あちこちに置きっ放しにしたり、違う場所にしまったりしない。

とても基本的なことですが、誰が次に使っても最高の状態で使えるように。そして、誰がつくっても、同じモデルは同じクオリティを担保できるように。うちの工房で働いている職人たちには、使う道具のメンテナンスは、責任を持ってやってもらっています。結局、具体的に削り出すのは道具ですからね。

個人的な作品で、時間がかかったりデザインがよくないのは、仕方がない。それこそ、日々精進です。それとは別で、江戸切子を産業として続けていくためにも、道具のメンテナンスは欠かせません。

 

* * *

「惚れ込むまでに時間がかかるんです」と、自身のこれまでを笑いながら話してくださった鍋谷さん。伝統工芸士として、工房の3代目として。穏やかな様子ながら、工房や江戸切子の未来もしっかり見据えた包容力のある言葉は力強く、熱い想いを感じました。後編では、ご自身の江戸切子に対する考えや、作品について伺います。

江戸切子の伝統工芸士 鍋谷淳一氏 インタビュー時撮影

 

室町硝子工芸 白金店 江戸切子 鍋谷淳一氏制作の製品

鍋谷淳一さんの製品は 室町硝子工芸 白金店にて実際にご覧いただけます。WEBでの販売は行なっておりません。白金店のみの販売となります。

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