Artisan Interview 4 — 細小路 圭さん(ミツワ硝子工芸)・前編

細小路 圭 KEI HOSOKOJI

1982年、岡山県出身。1970年に創業した工房「ミツワ硝子工芸」にて、20〜30代の若手江戸切子職人と共に製造、作品作りにも邁進する。2009年「江戸切子新作展」にて佳作を受賞。2019年、日本の伝統工芸士に認定される。

江戸切子 伝統工芸士 細小路圭氏 インタビュー時

江戸切子に携わる人々が、なにを想い、一つひとつの作品や仕事と向き合っているのか。工房へ伺い、インタビューしていく連載『Artisan Interview』。第4回目は、子どもの頃からコツコツとものを作るのが好きだったという、江戸切子の伝統工芸士・細小路 圭さんです。

 

見た瞬間に引き込まれた

——岡山県出身の細小路さんが、江戸切子の職人になるまでのお話から聞かせてください。

そもそも、幼い頃から絵を描くのが好きでした。焼き物にも惹かれるクチで、子どものときに地元の焼き物である備前焼の体験に連れて行ってもらった記憶があります。

高校卒業後に専門学校を出て、美容師の世界へ入りました。アシスタントとしてシャンプーなどを担当していたんですけれども、お客さまとしゃべって、お好みを引き出すというのが、僕には難しくて……。仕事をする中で、僕は自分一人で何かを作るほうが向いているのかもしれないと感じるようになりました。

結局、美容師は1年で辞めました。そこからバイトをしながら大阪芸大の通信教育に通って、いろいろな手仕事の仕事を探しては体験するというのを、2年ぐらいやったでしょうか。その中に江戸切子もあって。見た瞬間に「ガラスって、すごくきれいだな」「これを作ったら毎日が楽しいだろうな」と、グッときたんです。

細小路氏 室町硝子インタビュー時

まだ通信教育で学んでいる途中でしたが、いても立ってもいられず、江戸切子の工房を調べて直接電話しました。そうしたら「うちでは(職人を)募集していないから都庁に電話して」と。言われるがまま都庁に電話したら、職員の方が江戸切子に関わる方へ連絡してくださって。さらにその方が、当時の江戸切子協会の理事長に繋いでくださいました。

理事長から「10月に『すみだガラス市」というお祭りがあるから、とりあえず来てごらん」と教えていただき、行ったのは23、4の頃。そこでいくつか紹介してもらった工房のうち「ミツワ硝子工芸」に縁があり、半年後に上京しました。

親は、喜んでいましたよ。何かしらか作る道に進むだろうと思っていたみたいです。

 

“何もない僕”が唯一続いたもの

江戸切子工房の風景 ミツワ硝子工芸

——入社後は、どのような日々を経てこられたのですか。

最初の頃は、修行のように江戸切子と向き合っていましたね。朝8時から17時か18時まで仕事をして、会社で出していただく夕食を食べて、その後も仕事をしたり、練習をしたり。休みらしい休みは月2回ぐらい。ほぼ、ずーっと江戸切子に触れていました。

でも、苦じゃなかったですよ。必死(笑)。うちの工房は、駆け出しからどんどん任せてもらえるから。とにかく任せてもらった商品の加工を、ちゃんとできるようにならないと、としか考えていませんでした。売り物なので失敗はできませんし、他の職人と同じようなレベルで作れないとだめですから。

伝統工芸士 細小路圭氏 江戸切子制作風景

少し余裕が生まれたのは、入って4、5年経った頃でしょうか。できることが少しずつ増えてきて、作品展にも出そうと思えるようになりました。

そもそも僕は、何もないタイプなんです。江戸切子の世界に入るまで、一つの物事を長く続けたことがなかったですし、運動もできないし、どこか秀でているものが特にあるわけでもない。「いいな」「好きだな」「やりたいな」と思うことはあっても、長く続かなかったんです。

それが、江戸切子は自分としてハマッたのでしょうね。入社以来、ひたすら江戸切子と向き合う日々を過ごして、気がついたら時間と経験が積み重なっていました。もはや江戸切子は自分の生活の一部といいますか、好きなことであり、仕事でもある。だから自分の作品も、商品も、垣根はないです。

 

* * *

一つひとつ、しっかり考え、答えてくださった細小路さん。静かな口調ながら、和やかに、一瞬で惹きこまれた江戸切子への熱いものをお話ししてくださいました。後編では、細小路さんの作品への考えや、今後への想いなどを伺います。

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光菊 丸オールド 金赤

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